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TANKUMA SPECIAL INTERVIEW

【TANKUMA SPECIAL INTERVIEW】御船町議会議員・井藤はづき

気負わず力まず、自分らしく歩む道

  • 情報掲載日:2019.12.15
  • ※最新の情報とは異なる場合があります。ご了承ください。

 御船町の中心部から吉無田高原方面へ。細く曲がりくねった山間の道を縫うように走ると、ぽっかりと浮かぶ集落が現れる。眼下には緑の絨毯のように連なる山々の景色。山向こうに見える建物を指さし彼女は言う。「自然のそばにいると落ち着きます。山向こうに見えるのは養豚場なんですよ」。大きな瞳ときりりとした顔立ちが印象的な彼女の名前は、井藤はづきさん。県外の大学を卒業後、生まれ故郷である熊本へ帰郷すると同時に、この場所で両親が開設した就労支援所の事業を支えてきている。そんな彼女は、ひょんなことから政治の道へと踏み出すことに。結果は見事トップ当選。御船町で平成生まれの最年少の町議会議員となり、約半年。新米議員として奔走する彼女の人となりに迫る。

Profile
平成3年、熊本県生まれ。熊本高校を卒業後「岐阜大学」へ進学。応用生物科学部生 産環境科学課程修了。卒業後、帰熊し両親が立ち上げる就労支援所の準備~運営ま でをサポート。2019年4月に立候補し、町議会議員に見事トップ当選を果たす。現在 は議員として活動する傍ら、支援事業の活動も続けている
平成3年、熊本県生まれ。熊本高校を卒業後「岐阜大学」へ進学。応用生物科学部生 産環境科学課程修了。卒業後、帰熊し両親が立ち上げる就労支援所の準備~運営ま でをサポート。2019年4月に立候補し、町議会議員に見事トップ当選を果たす。現在 は議員として活動する傍ら、支援事業の活動も続けている

議会はスーツ。
普段はジャージ。
その振れ幅が魅力を培う

 時代が令和に変わった今年、御船町に県内初の平成生まれの議員が誕生した。そんな報せを受け取材班が訪れたのは、御船町の山間にある就労支援所「株式会社キッチン・ブレス」。その肩書で人物のパーソナリティを想像するのは、野暮だと知りつつも〝平成生まれの政治家〞が誕生したと聞けば、一体どんな方なのだろうと、想像を膨らませずにはられなかった。 「はじめまして」と待ち合わせ場所に現れた彼女は、Tシャツにジャージ姿というカジュアルな出で立ち。議員としてポスターの中でほほ笑むスーツ姿の彼女とのギャップに驚く取材班に「ここに来るときは、いつもこの格好なんです」と、彼女は笑う。その人当たりの柔らかな、それでいてどこか凛とした表情が印象的だ。

現在、彼女は議員活動をする傍ら「株式会社キッチン・ブレス」の一角にある「児童発達支援多機能型支援所 エルサ」で児童指導員として働いている。この場所は元々、井藤さんのご両親が発達障害を抱える自身の子どもたちのために始めた事業所だ。彼女曰く「周りを巻き込みながらアクティブに活動する行動派」のお母さまが佐賀にある「TEECH(ティーチ)プログラム研究会」の元で学んだTEECH(ティーチ)のメソッドに基づき、日々子どもたちと向き合っている。井藤さんが大学を卒業した2年後の2016年に事業化し、現在は未就学児から高校生まで、20名ほどの利用者が在籍している。「当初は、母が発達障害を抱える兄弟のための〝療育〞の一環としてその手法を学びはじめたことがきっかけです。一人ひとりの個性に合わせた目標設定とサポートプログラムを実践しています。一筋縄ではいきませんが試行錯誤した末、それぞれ今までできなかったことが、できるようになる。その瞬間に立ち会えることは、私にとってかけがいのない喜びの瞬間です」と、平成生まれらしいフレッシュな笑顔を見せる。

英才教育を受けた幼少期
好きなことに思いきり打ち込んだ大学時代

 政治家として議員活動に打ち込む日々の中で、児童指導員の仕事にも一層やりがいを感じているという井藤さん。仕事への深い愛情を垣間見て、大学時代は発達や教育に関する分野を学んでいたのかと尋ねると「それが全然違うんです。私は昔から動物が大好きで〝動物園動物〞に関して学べる環境があると聞いて岐阜大学応用生物科学部に進学しました。大学時代は移動動物園でアルバイトをしたり、国際交流に励み満喫しました」と、予想外の答えが返ってきた。動物に興味を持ったきっかけを尋ねると、そこには幼い頃の井藤さんの姿があった。「両親の方針で小学生くらいまでテレビを観る習慣がなく、唯一観ていたのが『どうぶつ奇想天外』だったんです(笑)。それがきっかけですね」。今や8人兄弟の長女である井藤さんだが、11歳までひとりっ子として育つ中で、0歳から英才教育を受けていたというのだ。「生後6ヵ月からチャイルドアカデミーに通い、小学校に上がる頃にはピアノにバレエ、バイオリン、フラメンコ、水泳塾……と、10種類以上の習い事を掛け持ちで、習い事は色々経験させてもらいました」。けれども小学校に上がってから次第に友達と遊べない毎日を窮屈に感じ始めてきた。小学校3年生の時、自分から〝全部の習い事を辞める!〞と宣言した井藤さん。「まったく覚えてないんですけどね……」と、驚きのエピソードを聞かせてくれた。井藤さんの教育に多くの時間を割いてきたお母さまにとっては、どれほどの衝撃を受けたかは知れないけれど、井藤さんはそう宣言した後「あ〜スッキリした!」とあっけらかんと言って見せたというのだ。辞める勇気とマイペースさこそ、井藤さんの強さなのだろう。その後は元々身体を動かすことが好きだった井藤さんは、バレーボールに没頭。中学校では友達と思いきり遊び、高校では再びバレーボール部に熱中した。「大好きなスポーツと学業の両立をさほど苦労せずにできたのは、幼い頃から教育に力を注いでくれた両親のおかげだったと今もとても感謝しています」。議員と児童指導員を両立するバランス感覚も、きっとここで培われたのだろう。

これからの生き方を考え
出した答えは。

 熊本県内初の平成生まれの議員として注目を集める井藤さんだが、そもそもなぜ政治の道に進んだのだろうか。「実を言うと私は当時、弟たちのお世話や事業所運営も少し落ち着いたので、中国語を学ぶために台湾へワーキングホリデーに出かけようと考えていたんです。そんな時、地元区長から、会社を設立し、地域の福祉に尽力する私の母へ最初に出馬要請が寄せられました。それが住民票などの都合で叶わなかったため、今度は娘の私に白羽の矢が立ったのです。どんな事情であれ、経験の浅い私にとっては、声をかけていただけるだけで光栄なこと。これから自分の生き方を決めるひとつの選択肢としてチャレンジしてみる価値は大いにあると思いました」。そう語る井藤さんの人生は、この時に紛れもなく大きな岐路に立っていたと言えよう。その時のご両親の反応はどうだったのか聞いてみると、「それが……私はてっきり両親も承知の上の出馬要請とばかり思い込んでいたので、出馬要請を受けるかどうかも相談すらしていなかったんです。蓋を開けてみると、両親は寝耳に水だったようで少々戸惑っていましたが……。」と、目を丸くする井藤さん。自分の人生をどう生きるかを考え、決断に踏み切ったという今回の出馬。運命のいたずらとも思える出来事が重なり、動き出した彼女の政治家人生だが、自身の決断に対する彼女の思いには揺るぎないものがある。「住むほどに好きになっていくこの地域のために自分にできることがあるならば、何か貢献したいという気持ちはずっとありました。一番下の弟が小学一年生なのですが、小学校が少子化の波もあって、やがて複式学級になろうとしているんです。そうした現状を肌身に感じられるので、地域の教育環境の向上や高齢者の方々に少しでも住みよい街づくりができたら、と日々思案しています」。町議会議員になって間もなく半年が経とうとしている今、彼女のライフワークは議会はもちろん、町内の方とさまざまな話をすることだとか。「町の催しに積極的に顔を出し、町の先輩からさまざまな話を伺い、御船町のこれまでの歴史や町政のあり方を学ばせてもらっています」と、襟を正すように話す井藤さん。「今はまだまだ修行の身ですが、どんな時も住民の皆さんのための最良の選択肢を選べる人でありたいですね」と力強く、素直な気持ちを口にする。 最後に座右の銘は? と、尋ねると「なるようになる!」とキッパリ。「気負いすぎてもよくないし、だからと言って手を抜くわけではなく、その瞬間を自分らしく一生懸命やっていけば結果は付いてくると思います」。人と向き合うことは、教科書通りにはいかないけれど――。これは彼女が児童指導員としての取り組みについて語った言葉だがそれは、これまで人の心に真剣に寄り添ってきたからこそ。しかし、多くの人はそんな当たり前のことを忘れがちだ。日々思うように行かないことがあったとしても、人の心に寄り添う大切さを知っている、そのことは彼女にとって若さ以上に価値ある強みであるに違いない。彼女が身を置く政治の道も、人の成長も、思うように行かないことが常だけれど、彼女の澄んだ瞳はどんな時も物事の本質を捉え、町のために最善の策を見出してくれる、そう信じている。

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