漫画家・江口寿史。TVアニメにもなった『ストップ!!ひばりくん!』(1981年から少年ジャンプで連載開始)、もう少し上の層なら『すすめパイレーツ』といえばピンとくる人も多いことだろう。日本を代表する漫画家&イラストレーターだ。下書きなしで描かれていく似顔絵のライブスケッチは感動もので、開催のたびに高い競争率とわかっていても、幅広い年齢層の男女が応募する。やさしく、なめらかで、シンプルな線による描写。時代を越えても一切それは古さを感じさせず、むしろ絵の中にいる主人公の服やアイテムは常に時代のトレンドを反映している。こんなすごい先生が私たちと同じ熊本生まれだなんて、それだけで嬉しくなる。

初恋、友人、少年時代……水俣は僕の大切な場所
江口先生が水俣を離れたのは、何歳の時ですか?
中学2年の3学期の2月、14歳の終わり頃です。父の仕事の関係で千葉県野田市に引っ越しました。
タンクマで“麺”を特集するんですが、名物の“水俣ちゃんぽん”はどちらがお好みですか?
それぞれ特徴があっておいしいですよ。帰省するたびにちゃんぽんを食べています。東京から熊本市までくる仕事があったら、ちゃんぽん食べたくなって水俣までぴゅーっと帰ってきたりします(笑)。ちなみに、港の『鶴岡食堂』は今日もここに来る前に食べてきました。
江口先生が描かれる可愛い女の子の絵は、昔好きだった人に似てたりするのかもしれませんね。初恋はどんな方ですか?
初恋は幼稚園の先生です。窪田先生。当時先生は20代前半だったんでしょうね。きれいで優しい先生でした。幼稚園ではぐずぐず泣いてばかりいた子だったので困らせたんじゃないでしょうか。「さしくん、泣かんとよ」という声をとてもよく覚えてます。実は10年前の水俣でのイベントでの再会が何十年ぶりだったんですが、今回もまた足を運んでいただいて。10年ぶりにお会いできてお元気そうで嬉しかった。
思春期までの思い出が詰まった水俣への想いを聞かせてください。
水俣は山、海、川、全てに豊かな自然があり、文化がある魅力的な土地です。が、そのことがあまりに知られていない。地元の人たちすら知らないことだらけなんです。それは僕自身も同じだった。大人になって、水俣のポスターとかで関わりが復活して、次第に行き来する機会が増えてから、徐々に知っていったことなんです。どうもやっぱり「公害」「水俣病」の負のイメージから、水俣の人々自体がいまだに抜け切っていないという印象を持ちます。終わった町だと思ってしまっている。もちろん失敗の歴史は踏まえたうえで、もっと誇りを持って故郷を大事に守っていくべき時期にきてると思います。


現在の水俣は環境への細かい取り組みで、タツノオトシゴが産卵するほどのきれいな海を取り戻した。昔ながらの山の暮らしにしても未来に残したい宝物だらけ。ただ、そのことに関心をもち、学び、理解しているのはむしろ外の人間かもしれない。妄想で恐縮だが、水俣に『江口寿史ミュージアム』を建設してはどうだろう。全国から沢山のファンが集まり、地元の人たちとの交流が生まれ、水俣ついて地元の人たちも詳しくなる。観光客には水俣ならではのきれいな山、海、そして環境や文化をを体験してもらったり。外へ向けて水俣の魅力を発信していく起爆剤になるように思う。(編集部・小崎)

