創立以来の不成績。
それでも〝好き〟を諦めなかった
大島直哉



〝ローブローアート〟というイラスト文化をご存知だろうか。1970年代後半のアメリカ西海岸と南海岸を起源に持つ、カスタムカルチャーから派生した画風だ。元々、絵を描くことが好きだった大島さんの小さい頃の夢は漫画家。高校卒業後は、より専門的な知識を学ぶ為『熊本デザイン専門学校』へ。「学校始まって以来の〝オールD〟判定を貰いまして……(笑)」。よもや留年!? という中で、卒業制作で何とか単位をゲット。それでも、あくまで〝特別に〟卒業という扱い。「卒業式には出られずに、校長室で卒業証書を受け取りました(笑)」。ローブローアートとより関わりが深くなったのは、学生時代に当時『REV UP』というセレクトショップに飾られていた〝ボン・フランコ〟の原画を見てから。「衝撃が走りました。生でみるとやっぱり迫力が違うなって」。そこからイラスト集や、ルーツを探る書籍を読んで、文化を追求。普段の仕事をしつつ、実際に描き出したのは約6年前。「子ども達の服に描いてみたら意外とイケるじゃん!! ってなりました(笑)」。その後は、鳥栖のセレクトショップ『JUNK TRAP』、天草の『FLAT TRACK』などが、イベント時に披露する機会も増やしてくれた影響もあり、認知度がどんどん上がっていった。「本当に多くの人に支えられて、今があります」。過去に劣等生と言われても〝好き〟を突き詰め、今では国内外から注目を集めるアーティストとなった大島さん。彼の作品は今後さらに注目を浴びそうだ。



いつか〝JORDAN〟シリーズで、
壁掛け時計を作るのが夢です
スニーカーマニア・S



「スニーカーを飾る為に家を建てた人がいる」、そんな驚きの噂を聞きつけ宇土市へ。まず目に入るのは玄関の棚に並んだスニーカー。そしてリビングのテレビラックには、本来デッキが入るはずであろうスペースにディスプレイされたNIKE
〝JORDAN〟シリーズ。「1~12シリーズを全部集めて時計にするのが夢です(笑)」。そう答えてくれた通称〝S〟さんは、天草で生まれ育ち、中学生頃にスニーカーブームが到来した。「大矢野の『wing』という靴屋のお兄さんが履いていたスニーカーが格好良くて。いつか履いてみたいなぁと思ってました」。しかしインターネットも普及していない時代。さらに田舎だったということもあり、情報も購入方法も制限されていた。時代と共にスニーカーは、〝ブーム〟から〝キックスカルチャー〟へと昇華し、続々と新商品が世に出て行く。そのたびに心はくすぐられ、遂にその時が訪れる! 「5年程前にwebサイトでJORDAN ×supremeのコラボモデルが抽選で当たったんです。そこからですね(笑)」。特に購買意欲をそそられるのが〝JORDAN〟シリーズ。NIKE側も生産数を絞ったり、購入ルートを限定したりしているが、「買えないと思うと、余計に買いたくなるんですよね……。まんまとやり口にハマってます(笑)」。買う為の情報をリサーチして、買えるか買えないかの瀬戸際をゲーム感覚で楽しんでいるという〝S〟さん。スニーカーを片手に話す彼の表情は、天草時代の少年期そのものだ。



