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TANKUMA SPECIAL INTERVIEW

【TANKUMA SPECIAL INTERVIEW】元プロサッカー選手/株式会社フットアス 代表取締役・巻誠一郎

〝熊本人〞としての終わりなき夢

  • 情報掲載日:2020.01.08
  • ※最新の情報とは異なる場合があります。ご了承ください。

 「これからは熊本人の巻誠一郎として、よろしくお願いします」。2019年1月16日に行われた現役引退会見。プロサッカー選手として活躍し、日本代表に選出されワールドカップに出場、約16年間にわたる現役生活に幕を閉じた。大柄な体だが元プロサッカー選手、元日本代表という威圧感など全く見せない彼の声は優しく、語った内容は意外なものだった。「現役生活、お疲れさまでした」。そんな言葉を用意していたのもむなしく感じるほど彼は目を輝かせ未来を語ったのだ。様々な恩師と出会いながら選手としても人としても成長し、海外生活、熊本地震では大きな転機を迎えた。その時々のこと、これからのこと、そして1月13 日に行われる引退試合に込めた想いまで、たっぷりと語ってくれた。

勝負が好きだった幼少期。自分と向き合うことを教えられた学生時代

 巻さんが生まれ育ったのは宇城市小川町。アイスホッケーや野球の経験を持つ父の影響の下、幼少期から様々なスポーツに触れながら育った。3歳で水泳、小学校1年生からアイスホッケーを始め、4年生でソフトボール部へ入部。だが試合が全くなく物足りなさを感じていた巻少年は、5年生になるとサッカー部へ転部。試合に出られるという単純なきっかけでサッカーを始めたのだが、日本に誕生したばかりのプロサッカーリーグ・Jリーグに魅了され、子ども心ながらに〝プロになりたい〞と漠然と思っていたという。
 中学校でもサッカーを続け、名門・大津高校サッカー部に入部。そこで出会ったのが、人生の恩師となる名将・平岡和徳先生だった。「自分と向き合うことを覚えた学生生活でした。小さな頃から勝負が好きで、勝ち負けにこだわりながらやっていたので、相手や周りと向き合ってばっかりで、自分と向き合うことが少なかったんです」と巻さん。平岡先生からは技術的なことはもちろん、人間性の部分でも多くの教えを受けた。みんなに平等に与えられた24時間をどう使うかは自分次第、24時間をセルフプロデュースし、デザインすること。自分に足りないことや、逆にできることも整理しながら様々な事に取り組むこと。「自分と向き合った結果、高校卒業後すぐにプロになっても厳しいと思いました。たとえプロになっても、もって3年だと自己分析していたので、一度大学に入ってサッカーを学び直し、体づくりをしてからプロになるという目標設定をしました」。

熊本でのサッカーの価値、クラブや選手の価値をもっと高めたい

 駒澤大学に進むと、「平岡先生から教えていただいたことを自分なりにアレンジして、一つひとつ課題を作り、それをクリアしてまた課題を作って、問題提議と課題解決能力を培っていきました」と巻さん。その結果、大学サッカーにおいても目覚ましい活躍をし、卒業後の2003年、ジェフユナイテッド千葉に入団。満を持してプロになったのである。そこで出会ったのが、こちらも恩師となるイビチャ・オシム監督だった。「プロになり日本代表に定着するまでの3年間は、人間としてもサッカー選手としても一番成長した時期だったと思います。代表では海外でプレーしている選手たちから刺激を受け、〝プロサッカー選手〞という基準が自分の中でグッと上がりました」。日本代表、そしてワールドカップという夢の舞台。どんなにワクワクする毎日だったろうと思いきや、こんな意外な答えも。「1憶何千万人の皆さんの代表というプレッシャーが強く、正直楽しめなかった。もちろん応援してくださっている人たちが喜んでくれるのはうれしかったし、真剣にやった結果として楽しかったと思うことはありますが、楽しみながらプレーしたことは一度もなかった。少なくとも僕は〝普通の人〞だったみたいです(笑)」。
 2010〜2011年にはロシア、中国のクラブに在籍。転機だらけの彼の人生だが、海外生活での気付きはまた人間・巻誠一郎を形づくることになる。日本ではその名が知れ、人目に触れるとサインや握手を求められ、やりたい事があれば誰かがサポートしてくれる。そんな中から自分のことを誰も知らない環境に飛び込んだのである。「そのありがたさや、日本である程度認めていただいていた僕の〝サッカー選手としての価値〞は貴重なことだったんだと改めて気付きました」。このことは、その後の巻さんの人生に大きな影響を与えているようだ。
 日本に帰ってくる際に彼が選んだクラブは、東京ヴェルディ。「若い選手がたくさんいて、僕の経験を共有し、サッカー選手とは何か伝えたいと思った」という理由からだった。その後故郷のロアッソ熊本へ移籍したのも、「自分が持っているパーソナリティーやサッカー選手としての価値を最大限発揮できるのは熊本だと思った」からだ。Jリーグの発足以降、日本の各地でサッカーの価値、プロサッカークラブや選手の価値が構築されつつあるが、「あくまで僕の個人的な感覚ですが」と前置きした上で「当時の熊本ではまだその価値が曖昧、あやふやだったと思うんです。サッカー選手は子どもたちの目標でなければいけないですし、サッカークラブは地域の皆さんに応援してもらえるような象徴的なもの、勇気をもらえるような場所であるべきだと思うんです。僕もその一助になりたい、熊本でサッカーの価値をもっと上げたいと思い、帰ってきました」と言葉に力を込めた。

子どもたちに〝本物〞を見せてあげたい。未来へ向けた引退試合

 そんな彼に降りかかったのが、あの熊本地震だ。ロアッソに入り3年目のことだった。避難所や仮設団地、小学校などを回り復興支援活動に尽力する彼の姿は記憶に新しいが、「僕はどちらかというとあまり前に出たくないタイプの人間だった」と彼は言う。前述したワールドカップの時の感想からも、なるほどとうなずける。「でも、熊本で本当に起こっている事の発信が少なく思えたので、僕が発信しようと思いました。やるからには今起こっている事をしっかりと見て、責任を持って発信しないといけないと思いました」。その活動の中で、彼が体現したかった〝サッカー選手の価値〞というものも確信へと変わっていく。「子どもたちって、災害があったときに普通に話しかけてもなかなか心を開いてくれないんです。ただ、足元にサッカーボールを転がすと必ず返ってくる。ボール1個でつながれるんです。サッカーにはそういう魅力があって、そういう力がある。サッカーを通じて社会とつながることが大切だと気付きましたし、それが僕のこれからの活動の原点ですね」と言うのだ。
 では、これから彼は何をしようとしているのか。「(復興支援活動をする中で)誰かのために動くと自分でもびっくりするぐらい大胆になれることに気付いたんです。なので、誰かのためになることや社会性のあることをやりたい。あとは、やっぱりサッカーというキーワードは外せない。サッカーで培ってきた能力や価値を、社会的な分野で還元したいですね」。熊本人・巻誠一郎のこれからが楽しみでならない。
 さて、1月13日(月・祝)には待ちに待った彼の引退試合が開催される。楢崎正剛氏や福西崇史氏、加地亮氏など元日本代表選手の出場が続々と発表され話題を呼んでいるが(12月5日時点)、彼は引退試合にこんな想いを込めている。「まず、ワールドカップの時も震災後も、サッカー選手としても人としても応援してくださった熊本の皆さんに感謝の気持ちを伝えたい。そして、子どもたちには〝本物〞を見せてあげたい。こういう存在になりたい、こういう舞台に立ちたいと思ってもらえるような引退試合にしたいです」。自分自身が実行委員長となりレジェンド選手たちを熊本に招いているのは、熊本の皆さんに楽しんでほしい、子どもたちに夢を持ってほしいという強い想いからなのだろう。そして最後に、引退試合に込められたもう一つのテーマを教えてくれた。「今までに対する感謝の気持ちだけじゃなく、これから先僕がどういう事にチャレンジして、どういうふうになっていくのかというところまで追いかけてもらえるような引退試合にしたいです。未来をイメージできるような引退試合を自分の中で考えています」。そう話す巻さんの目は、まるでサッカーを始めたばかりの少年のように輝いていた。

Profile

1980年生まれ、宇城市出身。大津高校から駒澤大学へ進学し、ジェフユナイテッド千葉に入団。日本代表に選ばれ、2006年ドイツワールドカップにも出場。2010年にロシア、2011年には中国のクラブで海外生活の経験を得た後、東京ヴェルディ加入。2014年に地元・ロアッソ熊本へ移籍し、2018年シーズンをもって現役引退を発表した

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