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TANKUMA SPECIAL INTERVIEW

TANKUMA SPECIAL INTERVIEW vol.39 「画家・松永健志」

  • 情報掲載日:2019.07.22
  • ※最新の情報とは異なる場合があります。ご了承ください。

絵がもっと身近な存在になるように。

 キャンバスの中に佇む日常の物や風景たち。そのどれもが「特別ではない」ひとコマを描いているにも関わらず、見た者の心をギュウとつかみ、一度目にすると忘れられない感覚に陥る。油絵の具が反り立った様や、淡く柔らかな色彩のコントラスト。この絵を生み出すのは(失礼なことを承知で)とても意外な人物。黄金色に染まった髪と髭をたくわえ、どこか「ただ者じゃない」空気を纏ったひとりの男性。彼の名前は松永健志。彼の手から生まれる絵たちは、身近にある日用品や日常の風景などを題材とし、優しく力強いタッチで描かれる油絵だ。いったいどのような経緯でこの絵たちが生まれたのか。聞いてみたところ、愛と優しさに満ちたストーリーがそこにはあった。

絵と出会った少年時代。「好き」と「憧れ」

 彼が絵に目覚めたのは小学5年生の頃に遡る。写生大会の時に描いたムラサキ色の花の絵は、とても上手と言えるものではなかったが、想像していたものが自分の手によって形あるものになることに感動を覚えた。それからというものの、絵を描く日々が始まった。だが、中学生になったある日、早くも転機となる出来事が起きた。兄と一緒に映画『フィフス・エレメント』を見ていた時に「あの服、ゴルチェ(※1)だけんね」という兄のひと言で衝撃が走る。「スクリーンの中の演者たちが着ていた服はどれも近未来で、本当に驚いたんです。こんな世界もあるのかって。その時点で“ファッションを志す絵が好きな少年”になった」そうだ。
 どこかファッションの道を引きずったまま地元の文徳高校へ進学。自然な流れで美術部に入部し、3年生には部長も務めた。学生時代、あれほど燃えた絵心だったが、高校3年間は上手く書けず、そのまま本格的にファッションの世界へ飛び込むべく、東京の文化服装学院へと進学した。「ようやく自分の好きなことができる!」と喜びもつかの間、いざ服を作ってみると、絵を描いたときのような高揚感が味わえず愕然とする。「まったくテンションが上がらず、自分にとって絵を描くことが幸せなんだと、ようやく気づいたんです」、ファッションの道は三カ月で挫折、という形で終了した。

※1=「ジャン=ポールゴルチェ」。フランスのファッションデザイナー

「夢を追いかける」ということの嬉しさと厳しさに翻弄される日々

 まわり道はしたものの、やっと自分のやるべき事を見つけ、絵を描く日々を再スタートさせた。熊本へ戻り、家で描いては夜は街に繰り出し絵を売るという生活。1枚1,000円で販売した水彩画は一晩で40枚売れた日もあれば、1枚も売れなかったり、酔っ払いに絵を踏みつけられることもあった。しかしこの生活を4年続けている中で「絵でご飯が食べたい」と決意したものの、予想をはるかに超える厳しい現実。時を経るごとに深まっていく絵への愛情とは裏腹に、結果が見えない毎日。自分が何をしたいか次第に分からなくなり、日に日に生気を失い、まるで闇の中にいるような日々だったそう。そして「死」をも考えていた22歳の冬、運命の出会いを果たす。のちの妻になる裕子さんとの出会いだ。「いつも通り路上販売をしていたある日、目の前に立ち止まった女性が地面から10センチ浮いていたように見えたんですよ。天使が来たんだ!って、その時は本気で思いました」。導かれるように惹かれあった2人は、すぐに交際をスタート。二人三脚で夢を追うことを決意し、再び上京した。しかし現実はそう簡単なものではない。熊本で売れない絵が東京で売れる訳もなく、バイトをしながら絵を描き続けるが、満足にご飯が食べられるほどの収入が得られず、2人ともにあばら骨が浮き出るほど痩せていったのだという。「夢じゃ食べていけない」と改めて気づいた2011年3月、東京だけでなく世界を震撼させる出来事が起きた。東日本大震災だ。「世の中は混乱していて、絵なんて売ってる場合じゃなかったです。皆、生きることに必死。またも夢破れ、恥ずかしながら熊本へ帰ってきました」。好きなことに真っ直ぐ生きたい、まともに生きていかねば、という両極端な思いから突然解き放たれたかのように熊本へ、2度目の帰郷となった。

突然の転機、はじめての個展。運命が大きく動き始める

 熊本に帰ってきてからは、東京生活の反動からか自然を求め健志さんは牧場で、裕子さんは阿蘇のカフェでバイト漬けの毎日。自然や生命に触れ心身ともに癒される日々の中で、少年時代からの夢が再発。画家になる最後のチャンスに賭けるべく、裕子さんと結婚し、健志さんはバイトを辞め、同時に現在の彼の代名詞でもある「油絵」を独学で始め、絵だけを描く生活をスタートさせた。「僕は夢担当、妻は現実担当。妻がパートに出て僕は市営団地の一室でひたすら絵を書く毎日。周りからの心配を振り切り、信じる道を突き進むことを選びました」。そんな生活を3年ほど続けていたある日、転機が訪れた。『河原町アートアワード』というコンテストにて4部門で賞を取り、その中のひとつが「長崎次郎賞」。これが『長崎書店』『長崎次郎書店』を営む社長・長﨑健一さんとの出会いだった。「元々、長崎書店での個展に憧れ、問い合わせしたこともあって、“両書店での個展開催”という特典にはただただ驚くばかりでした」。念願の初個展は『200円2000点の小品たち』。およそ1年かけて手描きした色鉛筆のポストカードを2000点、1枚200円という値段設定で販売する、なんともトリッキーなものだった。地震の影響で開催が1年遅れたものの、会期中は彼が絵に目覚めた頃と同じくらいの小学生の子どもたちが200円を握りしめて買いに来ている姿を見て、一カ月間ほどは毎日泣いていたという。結果、合計2234枚のポストカードが完売、初の個展は大成功を収めた。
 それだけではない。2018年には長年挑戦していた熊日美術公募『描く力2018』にてグランプリ部門の大賞に輝く。そのニュースは瞬く間に熊本中に広まり、「画家・松永健志」の名前は知れ渡ることとなった。その後も福岡での個展、東京でのグループ展などを経験し、今年5月には自身3回目となる『長崎書店』『長崎次郎書店』での個展『sunny day』を開催。1回目とは違い「油絵を身近に」という松永夫妻と長﨑健一さんの思いをこめて2年間描き溜めた300個のミニキャンバスを展示販売。3日もたたないうちにそれらは完売し、会場となった書店には油絵を買い求めてレジに並ぶ行列が出現するという、異様な光景が話題を呼んだ。個展だけでなく、イベントでのライブスケッチや企業CMでの油絵起用など、これからも活躍は続きそうだ。
 そんな松永さんは今なにを思っているのだろう。「絵に憧れた小5のときから、“絵を描きたい”という思いは一切変わりません。大切な人に出会い、好きを信じて動き続けることが、夢につながったんだと思います。これから?そうだなぁ。老いても絵を描き続けていければ、それで幸せです。」

Profile / Matsunaga Takeshi

1985年、熊本市生まれ。文徳高校を卒業後、東京の文化服装学院へと進学するが3カ月で自主退学。少年時代に抱いた画家になる夢に向かい夫婦二人三脚で東京・熊本で絵の路上販売を行う。2017年3月に初個展を開催し、その後も個展・グループ展を成功させ、2018年には熊日美術公募『描く力2018』にてグランプリ部門の大賞に輝く。

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