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TANKUMA SPECIAL INTERVIEW

TANKUMA SPECIAL INTERVIEW vol.34 「『ファクトリエ』代表・山田敏夫」

物語のある服づくりで、オシャレの概念を変える!

  • 情報掲載日:2019.01.03
  • ※最新の情報とは異なる場合があります。ご了承ください。

物語のある服づくりで、オシャレの概念を変える!

 ファッションブランドでありながら店舗を持たず、安さを打ち出すOFFセールもなし。業界内では「公開は御法度」と言われる生産工場を前面に打ち出し、価格も工場主導で決めてもらう―。いわゆる「アパレル業界のタブー」をことごとく打ち破り″ジャパンメードのモノづくり″を追求する革命児が、『ファクトリエ』代表の山田敏夫さんだ。身長182㎝、トレードマークのデニムと白シャツをサラリと着こなし、爽やかな笑顔で手を差し出された瞬間「光が当たる″成功の王道″をずっと歩いて来たんだろうな〜」なんて勝手なイメージを抱いてしまったが、実は真逆。「何をやっても人並み以下で、だからこそ生き抜く術として消去法で進む道を選び、それでも失敗してどん底を這う日々を過ごしてきた」というエピソードの数々に驚かされる。

できないことが当たり前。
だから人一倍努力する

 西日本最大級の広さを誇る下通りアーケードを電車通り側から入ってすぐ右手に、山田さんの生家が営む『マルタ號』はある。創業から百余年を誇る老舗洋装店。「子どもの頃はアーケードが遊び場だった」と言うほど、生粋の″街っ子″だ。端から見ると羨ましい環境だが本人はイヤだったらしく「学校から戻ってランドセルを置き『さぁ遊びに行こう』とすると母から呼び止められて店番をさせられる。土日もお店があるし、家族揃って食卓を囲める機会も少ない。寂しいと感じることもありましたね」と当時を振り返る。
 しかも10代の山田さんは何をやってもうまくいかず、劣等感の固まりだったとか。例えば、記憶力が人一倍悪いので「塾に入りたくても頭が悪すぎて先方から断られた」というエピソードがあるほど。スポーツも同様で、剣道、サッカー、バスケット、野球はすべて3年以上頑張ったけど上達せず、「4歳から習っていた水泳は中学生になってやめるまで飛び込みすらできませんでした」と聞くと、さすがに返す言葉が見つからない。両親は心配するし、本人は落ち込むし……。そんな日々を救ってくれたのが、高校時代に出会った長距離走だった。
 「最初は大会に出ても周回遅れのゴールで恥ずかしい思いをしましたが、高校3年の時に開催された駅伝大会でアンカーを任されたんです。その時に、練習で走ってきた距離は決して裏切らないし、足を止めなければ必ずゴールすると実感しました。新しいことに挑み続けている今も、『暗闇の中を走っているようだ』と感じることがありますが、前に進み続ければ必ずたどり着けることを知っていますから大丈夫」と語る姿に、揺るぎない信念が垣間見えた。

全力で失敗することが成功への第一歩

 「モットーは?」と聞くと、「猛スピードで失敗する!」という答えが返って来た。そしてこの失敗の連続が今の山田さんを創っている。大学時代、フランス留学初日にスリにあって全財産を失うが、そんなトラブルがあったから『グッチ・パリ店』で働くという幸運がめぐってきた。日本に戻って就職した後は、営業成績最下位が続く肩身の狭い日々。でも、子供の頃から続けて来た「人一倍の努力」をコツコツと続け、気づいた時にはトップセールスマンに上り詰めたそう。すると今度は安泰の地位をアッサリ捨ててファッション業界に身を投じ、倉庫番のアルバイトから人生を再スタート。1個100円のガムを買うお金すら惜しく「生きるのがやっと」という日々に突き落とされるが、数ヶ月後には社長室付きに大抜擢される―。「わずか15年の間に、ひとりの男性の人生に起きたこと」とは思えないほどのアップダウンの連続! 正直、「もっと楽な生き方もあるのでは?」と思ってしまうが、本人は「一生チャレンジャーでありたい」と断言する。
 「例えると、海の底に沈んでいて『早く浮き上がって新鮮な空気を吸いたい!』ってもがいている感じ。吸ったら新しい何かが見えて来て、それをクリアする為に海の底でまたもがく(笑)。そうやって自分をアップデートしていきたいですね」。
 紆余曲折とドラマに満ちた山田さんの人生は、今冬発刊になった著書『ものがたりのあるものづくり』(日系BP社発行)に詳しく記されているのでぜひ手にして欲しい。

熊本にルーツを持つブランドとしての矜持

 「世界に誇れる日本のブランドを作る」という熱い想いを胸に、『ファクトリエ』をスタートさせたのは2012年。6年間で600を越えるアパレル工場をまわり、想いを共有し合える仲間は現在55社まで増えた。最初はどこに行っても不審者扱いだったのに、今や日本中の服飾縫製工場からラブコールを受ける存在だ。そんな山田さんの目下の関心事は「熊本の中心市街地の価値をどう創っていくか?」という難題。
 「ちょうど今、僕の同世代たちが代を引き継いで、街の中から色んなことに挑戦しているんです。僕のプレイヤーとしての立ち位置は熊本から少し離れた場所にありますが、ジャパンメードのモノづくりを追求し、世界から注目を集め、その本店が熊本にあるってなると究極のインバウンドに繋がるでしょう? 社会を良くする為に通る道は人それぞれ違うけど、目的は同じ。僕らしくベストな貢献を考えて行きたいですね」。
 実は数年後を目処に、実家の『マルタ號』を引き継ぐ準備を始めているとか。「街にとっても、人にとっても最善の道を探したい」と語る山田さんの選択がどんなカタチになるのか? 楽しみに待ちたい。

様々な社会貢献活動で子どもたちを笑顔に!

 この冬、熊本駅が″日本一長いポスター″で彩られた。写っていたのは、『ファクトリエ』のくまモンTシャツを着た94人の子どもたち。しかも自分たちで好きな色を塗ったオンリーワンのデザインだから、カラフルで見ていて楽しい。この試みは、ファクトリエが震災後スタートさせた復興支援の一つで、今回は益城町の夏祭りに参加していた子どもたちにTシャツをプレゼント。記念撮影し、長さ67mもの超特大ポスターに仕立てたのだ。
 「実はポスターの制作が遅れたので、メンバーが東京から手持ちで飛行機で運び込んで深夜に貼って。舞台裏はバタバタ(笑)。でも親御さんから『2年経ってこんな笑顔を見せてくれるようになったことが嬉しい』と言われた時、疲れも吹き飛びましたね」。
 今後も彼にしかできない方法で、熊本に寄り添ってくれることだろう。

デニムにフライパン加工?
奇想天外な発想に拍手!

 ファストファッションのレベルが上がっている今、山田さんが目指すのは、自分でお金を出してでも何枚も欲しいと思える服づくり。「100点では足りない。1000点を獲るつもりで挑んでいます」と意気込む。その真骨頂がホワイトデニムに、フライパンに使われる撥水加工を施した″ずっときれいなコットンパンツ″だ。雨の日の泥はねも、コーヒー染みも気にすることなく、キレイな状態をキープできる優れもの。考えついた山田さんもスゴイが、それをカタチにする『レッドリバー』(岡山県)の高い職人技術に驚愕だ。なんでも半年かけて口説き落とし、1年かけて研究開発したらしく、100回洗っても撥水機能は落ちないというから嬉しい限りだ。「うちの製品は流行に左右されないし、作るのに手間もかかるので効率は悪いですよね。でも長く愛用してもらえる喜びは格別です」。
 インタビューが終わり、改めて『ファクトリエ』のウェブサイトを見てみた。熊本の縫製工場も3社  参加していて、その中の一軒『デアイ』のストレッチスカートに目が止まった。「この商品は当社の職人が手間を惜しまず、こだわり抜いて作りました。着心地が良く、ボディーラインに綺麗にフィットします。シンプルな中にもひと味違うということを実感していただけると思います」。そう添えられたメッセージにますます心が惹かれ、思わず「購入」ボタンを押していた。
 工場の職人たちが心を込めて紡ぎ出し、山田さんが世に語り広めたストーリーに、手にした私が身に纏うことでどんな物語を続けていこうか? そんなワクワクをくれる服を、山田さんは創っているのだ。

プロフィール/山田 敏夫
1982年、老舗洋装店『マルタ號』の息子として生まれ、日本製の上質な製品に囲まれて育つ。大学在学中にフランスへ留学し、『グッチ・パリ店』に勤務。2012年1月、長く愛着を持って着られる日本製の服とファッション雑貨を販売するネット通販限定ブランド『ファクトリエ』を立ち上げる。
1982年、老舗洋装店『マルタ號』の息子として生まれ、日本製の上質な製品に囲まれて育つ。大学在学中にフランスへ留学し、『グッチ・パリ店』に勤務。2012年1月、長く愛着を持って着られる日本製の服とファッション雑貨を販売するネット通販限定ブランド『ファクトリエ』を立ち上げる。

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