1. Home
  2. トピックス
  3. 【TANKUMA SPECIAL INTERVIEW】フォトグラファー/合同会社TALBOT. 代表・…

TANKUMA SPECIAL INTERVIEW

【TANKUMA SPECIAL INTERVIEW】フォトグラファー/合同会社TALBOT. 代表・坂田智彦

自分が思う〝カッコイイ〞を一生撮り続ける

  • 情報掲載日:2020.02.26
  • ※最新の情報とは異なる場合があります。ご了承ください。

 上乃裏通りに構える白塗りの建物。元は診療所だったという築80年以上の古屋を改装し、『LiviBossa』というカフェに生まれ変わった。歴史を感じる重厚感ある梁、当時の面影を残すアンティーク調のインテリアが配された空間に、都市のビル群や逆光に照らされる人々を抑えた写真が飾られている。2月末までの期間限定で、写真家・坂田智彦さんの個展『The 45th floor』が開催中だ。熊本出身で、今現在は東京に拠点を移し広告写真やファッションの分野で活躍している坂田さん。大阪でも好評を博した今回の個展では「自分が〝カッコイイ〞と思うものを感じてもらえたら」という思いの下、作品たちが並ぶ。〝カッコイイ〞という言葉に込めた坂田さんの思いを彼の半生を通して探っていこう。

ファッションの楽しさと自分の作品の価値を教えてくれた熊本時代

 まず坂田さんを見て感じた第一印象は、柔らかく温かな人柄。そして、オシャレ! きれいなシルエットのジャケットとトラウザーパンツをさらりと着こなし、パッチワーク風に生地が切り返されたシャツを合わせている。足元にはスエード生地の〝PUMA 〞のスニーカー、手元にはさりげなく主張するリングがはめられ、細部にまでセンスが光る。「とにかく洋服が昔から大好きなんです」。年齢から逆算して、坂田さんの学生時代といえば90年代後半〜2000年代初頭。当時の熊本の街なかは、古着ブームと合わせて、新品を扱うセレクトショップの勢いも増し、若者の洋服への興味関心はどんどん高くなっていた時代だ。「高校時代は学校帰りに自転車乗って、お小遣いを握りしめて古着屋へ行ったり、大学時代も『MEMPHIS』さんとか、色んな洋服屋に行ったりしていましたね。あんまり勉強はしてなかったです(笑)」。そんな、ファッションシーンど真ん中を多感な学生時代に経験した坂田さんは、大学で写真部に入部したところからフォトグラファーとしての人生の歯車が動き出す。
 「本当に、ただ何となく入ったんです」。入部のきっかけを話す坂田さんは、大学入学までカメラに触れることはなかったが、カメラを始めて早々、大学1年生の頃に将来フォトグラファーを志すようになる一つのきっかけが訪れる。現在上通町に構えるセレクトショップ『fusion』のオーナー・淀川和弘氏から、坂田さんの写真をショップのDMに使わせてくれないかという打診を受けたのだ。「広告として機能を自分の写真が持つことがすごく楽しいと感じましたね」。商業としての写真の楽しさと、そのチャンスを与えてくれた淀川さんとの出会いは坂田さんにとって大きな影響を与え、自分の作品に対して自信を持つことができる出来事となったのだ。

先輩の言葉を胸に上京。下積みを重ね転機を迎える激動の20代

 写真部は、部員の作品を披露する年2、3回の展示会がメーン。それ以外の時間で、精力的に活動する部員はほとんどいなかった。そんな中でも、坂田さんは写真に没頭。友人をモデルにポートレートを撮ったり、一人で景色写真を撮ったりして、スキルを上げていった。時は流れ、学生時代も後半を迎えた大学4年生頃。同じ写真部の先輩・OBで、今も熊本を拠点にカメラマンとして活動している小田崎智裕氏が、当時よく暗室に来てくれていたという。「今でも覚えているんですけど、僕の写真を見て小田崎さんが『坂田は絶対東京に行った方がよかよ』って言ってくれたんです」。先輩からの頼もしい言葉を胸に、上京を決意することに。
 当然、上京したばかりの頃は壁にぶち当たる。知り合いはおらず、もちろんお客もいない。渋谷区広尾にある『広尾BBスタジオ』というスタジオに所属し、数年経験を積み、フリーランスとして独立するが……。「まぁ、食っていけないですよね(笑)。日雇いのバイトの工場で外国人と一緒に消火器
を詰めたりしながら、何とか食いつないでいました(笑)」。独立したての頃の坂田さんの仕事は、カメラアシスタントとしての役割がほとんど。様々な現場であらゆるカメラマンと出会い、何かチャンスを掴むため、撮影の度に自分の作品を持参し、見せていた。その当時の作品が、度々熊本に帰って
撮影していた〝COMME des GARCONS 〞のお客のスナップ集をフィルムで収めたものだった。「当時、『熊本PARCO』にギャルソンが入ってて、店長が僕の友人だったんです。そのつながりもあって、店に来たお客さんのポートレート撮影をしていました。27〜29歳くらいの時でしたね」。故郷熊本で撮り続けた大好きなファッション分野での作品が、後に彼の東京での活路を切り開く、重要なアイテムとなっていく。
 「29歳も後半を迎えたとき、30歳までに何もなかったら、この業界に向いていないから辞めようと思っていたんです。そんな時に知り合いに誘われて参加した飲み会で出会ったのが、グラフィックデザイナーの末吉亮さんという方です」。デザイン事務所『図工ファイブ』の代表を務め、舞台広告や書籍のデザイン、その他広告のデザインも手掛ける東京のデザイナーだ。〝COMME des GARCONS〞のお客のスナップ集の作品を一目見て気に入り、
すぐに坂田さんに仕事のオファーが届いた。内容は『奇ッ怪』という小泉八雲の怪談を舞台化したもので、その舞台広告の撮影をお願いしたいというもの。しかも主演は、俳優・仲村トオル。いきなりの大抜擢に坂田さん自身も驚きを隠せなかった。「初めて撮影させていただいた役者さんが仲村トオルさんだったんです。振り返ってみると、当時は撮影中に手が震えていましたね(笑)」。これを機に坂田さんの仕事の幅は広がり、様々な役者との撮影をはじめ、広告写真をメーンとした現在の仕事の礎を築くこととなる。実は坂田さんにチャンスを与えてくれた、末吉さんは鹿児島県出身。同じ九州出身というところにも深い縁を感じる。

自分の価値を高める為に新たに始めた〝写真家〞としての道

 2003年からカメラマンとしてのキャリアをスタートし、東京でチャンスを掴み取り、現在では第一線で活躍している坂田さん。2年前に『TALBOT.』という写真・映像の会社を設立し、代表を務めている。20代、30代をがむしゃらに駆け抜け、40代を迎えた今思うことは、「自分の価値を高めること」だと話す。「今はSNSも発達して、誰しもがスマートフォン片手にカメラマンになれる時代です。そんな時代に、プロのカメラマンと一般の人との
線引きって何だろうって考えたんです」。商業カメラマンとして、クライアントのニーズに応えて撮影することももちろん大事だが、数多くいるカメラマンの中で、坂田さん〝らしさ〞を評価してもらうためには、自分が純粋に〝カッコイイ〞と思えるような作品を残していきたいと感じるようになったと言う。「僕が好きな言葉が〝カッコイイ〞なんです。男性でも女性でも〝カッコイイ〞って言われることが最大の誉め言葉だと思うんですよ」。
 今回の個展『The 45th floor』では、東京都庁の展望所がある45階に約1年間通い詰め、その場にいた観光客や眺望を写真に収めた。豊かな色彩を精細に表現する〝ラムダプリント〞と呼ばれる印刷技法を使用し、都会的でファッショナブルでありながら、夕刻に撮影したということもあってか、写真に写るビル群や人たちからは、どこか懐かしさも感じられる。もちろんこの作品たちにも、坂田さんの〝カッコイイ〞が詰まっている。「僕が若いころにあこがれていた90年代のファッションや空気感を表現してみたんです」。さらに、坂田さん〝らしさ〞を表現する上で欠かせないのが〝青〞だ。坂田さんの作品には青の色彩を感じられる作品が多く並び、眺めていると爽やかで、深く引き込まれていくような感覚になる。「小さい頃から特別に青が好きということではなかったんです。ただ、上京して苦労した20代、30代の年齢の時によく眺めていた西新宿のビル群に抜ける真っ青な空がすごく美しくて、力強くて、そして何よりカッコ良かったんです」。取材中、〝カッコイイ〞というフレーズを何度も使って、自身の思いや写真観を丁寧に話してくれた坂田さん。「死ぬまでカッコイイ写真を撮り続けていると思いますよ」。彼の言う〝カッコイイ〞とはいったいどういうことなのか。その答えは、彼の作品を直接見て感じたあなたの心にきっとあるはずだ。

Profile

1978年熊本県生まれ。熊本学園大学経済学部経済学科を卒業後、東京工芸大学芸術別科にて写真を学ぶ。『広尾BBスタジオ』での勤務を経て、2007年に独立。2009年に『TALBOT.』として活動を開始し、2018年に合同会社化。企業広告やファッションの分野で活動し、主に東京芸術劇場、新国立劇場、世田谷パブリックシアター等の舞台広告や役者のポートレート撮影に携わる。

Infomation

坂田智彦写真展『The 45th floor』
【開催期間】2月29日(土)まで※期間中は12時~19時
【会  場】LiviBossa 熊本市中央区南坪井町3-2
【料  金】展示観覧のみ無料

関連記事

SNS